掲載開始日:2021年4月1日更新日:2023年3月29日

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昔の港湾散歩

細島港

細島港工業港岸壁工事

細島港を見下ろす米の山麓にある鉾島(ほこしま)神社には、神武天皇にまつわる伝説が残り、その鉾島が転じて「細島」という地名になったと伝えられています。細島港の商業港は天然の良港で、神武東征の伝説の残る美々津港とともに、大隅、薩摩方面と瀬戸内海とを往還する船の中継点として栄え、対明貿易の船やポルトガル船も立ち寄ったといいます。また、江戸時代には日向、薩摩、大隅の各藩主が参勤交代の際には、必ず細島港を経由し、港口には番所が設けられ、これらの出入船舶を検問していました。

宮崎港

宮崎港昭和35年頃の様子

宮崎港平成16年3月頃の様子

宮崎港は、古くは「赤江港」と呼ばれる港でしたが、大淀川の河口港であったため、水深が浅く、大型船は入港できない状況にありました。そこで、外海から直接入港できる航路等を設けるために、全国で二つ目の掘り込み型の人工的な港として、昭和56年から本格的な整備が進められました。6年後の昭和62年に、一ツ葉の入り江と外海を隔てていた砂洲が切り開かれて港内と外海が直接つながり、新しい北航路が供用を開始、県都宮崎市に新しい大型港湾が誕生しました。

油津港

油津港昭和14年5月頃の様子

「油津」という名前は、堀川運河沿いにある吾平津(あひらつ)神社の祭神の一人である吾平津比売命(あひらつひめのみこと)に起因すると言われています。吾平津比売命は当地の出身で、神武天皇の最初の妃であったと伝えられています。江戸時代、飫肥11社の一つとして歴代藩主の崇敬を受けた吾平津神社は、通称「乙姫神社」と呼ばれ、今日まで港町油津の守護神として崇拝されています。油津港は室町時代には対明貿易の中継基地として栄え、江戸時代には木材積出港として藩の財政を支えました。

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