掲載開始日:2022年2月1日更新日:2024年2月5日
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令和4年度に宮崎県伝統的工芸品の公式デジタルブックを制作しました。伝統的工芸品の製作工程をはじめ購入先や関連HP等を掲載しておりますので、ぜひご覧下さい。
宮崎ロクロ工芸品は、ケヤキ材・サクラ材等を材料にして、製材・木取・荒ぐり・乾燥・仕上・塗りの各工程を経て製作されます。
特に、仕上工程では、この工程の善し悪しが次の塗りの工程に大きな影響を与えることから、熟練した精密な木地づくりの技術が要求されます。
また、塗りに使用される塗料も、長年の経験を生かした全国唯一の色のものも開発されています。
品目は、四方盆・コースター・なつめ・盛鉢等、それぞれの素材の特長をつかみ、木肌をそのまま生かしたものが多く、形状も宮崎の自然や風土を生かした感じのものになっています。
和紙の製法は、高句麗(こうくり)の工芸僧曇徴(どんちょう)によって、日本に伝えられたと言われています。
本県では、平安時代頃から生産されるようになったと言われており、江戸時代以降、重要な産物として生産が奨励されました。
国富、綾、穂北、美々津などで、盛んに生産がされていましたが、機械和紙や西洋紙におされ、現在では、わずかに1軒がその伝統を守っています。
原料は、こうぞ、みつまたなど強くてしなやかな木が使われます。製法は、原料を蒸し、皮をはぎ、ソーダ灰で煮た後、繊維がほぐれるまで、清流でさらし、繊維がくだけて湿った綿状になった後、手漉で漉きあげ、乾燥させて仕上げます。
最近では、障子紙や書道用紙などの実用品のほかに、手漉和紙のもつ独特の手ざわりや美しさを利用して、名刺や封筒、便箋、はがきなどの製品が作られ、愛用されています。
かつて農村には生活必需品の鍬、鎌、包丁などの鉄製品を打つ鍛冶屋が身近にいました。
手打刃物は、はがね割込や焼きもどし、焼き入れなどの製造工程に昔ながらの木炭を使い、焼いては叩き、焼いては叩きを繰り返して1本1本手作りで丁寧に仕上げられます。
確かな切れ味で長年使える製品は県内外から高い評価を得ています。
温暖で雨量の多い宮崎県では、各地に美しく良質の竹林があり、竹は昔からいろいろな分野で利用されてきました。
現在、日常生活用品としての竹製品は、プラスチック製品などの進出や海外からの輸入によりほとんど生産されなくなってきましたが、日之影や綾地方では昔ながらの竹工芸品づくりの伝統が継承されています。
竹工芸品は、竹の選別、乾燥、竹割り、竹ひごづくり、編み等の工程を経ますが、すべて手作業による熟練の技が要求され、一人前になるには10年かかると言われます。
日之影や綾の竹工芸品には実用性を追求してきたゆえに生まれた美しさがあります。奇をてらったり、装飾性に走らず、使い易さ、丈夫さを追求し突きつめた美しさと言えます。
なお、日之影の竹工芸品は、日本の伝統文化を継承する優れた民芸品として、アメリカ合衆国のスミソニアン博物館にも収蔵されています。
かるいは、高千穂地方に古くから伝わる生活用具で、山間部での荷物の運搬用に考え出された、竹で編んだ背負いカゴです。
竹の選別、乾燥、竹割り、竹ひご作りなどの製作過程は、どれをとっても長年磨かれた手づくりの勘が必要で、特に、編みながら形を整えること、ふちを巻くことが至難の技です。
生活用具としてのかるいは、人の背中に合わせて作られた形の大きいものですが、現在では、装飾や郵便受けに使用できる小型のものも作られています。
竹の光沢と逆三角形が調和した見事な工芸品です。
「てご」は、小物を入れる背負い式の袋状のもので、山間部でのあらゆる作業や生活の必需品として使われてきました。その起源については定説はありませんが、焼き畑農耕の進化に伴い、農耕用具の一つとして作り出されてきたものと考えられます。
材料には、近隣に自生する「すげ」などが主に使われ、これを細かく裂いて、なわ状にしたものを編み上げて作られます。
作業はすべて手作業で、使う縦なわ、横なわの本数によって「いの目」編み、「あばら」編みに分かれ、さらに縁取り、装飾用に「装束」編みという技法が使われます。
また、生活様式の変化に伴い、従来の作業用のてごのほか、日用品としての買物用のリュック、かごなども作られています。
「めんぱ」は、木製曲げ物の弁当箱で、わっぱ、めっぱ、めんぱ、めんつう等、地方によっていろいろな呼び名がありますが、本県では一般的にめんぱと呼ばれています。
材料には、主にヒノキ、杉、ネムの木が使われ、薄く削った材料を熱湯に入れ軟らかくして形を整え、細かく裂いた桜の皮で縫い合わせ、最後に底板をはめこみ完成します。
めんぱの特長は、ご飯がべとつかず、炊いたままのふっくらとした感じが残っている点にあり、ふたは、湯飲み代わりに使用できるほど精巧に作られています。
かつては日常生活用品であっためんぱも、アルミニウムやプラスチック製品に押されて姿を消しつつありましたが、形の柔らかさや木製品特有の温かい感触が見直されています。
小松原焼は、鹿児島の有名な苗代川焼の流れをくむもので、万延元年(1860年)に都城市の小松原で始まりました。その後一時中断されましたが、昭和44年に宮崎市において再興され、現在までその技法が受け継がれています。
小松原焼の特徴は、苗代川焼の伝統的技法を継承した「叩き」のほかに、「釉薬(うわぐすり)」の研究によって作り出された独特のさめ肌、鈍甲(どんこう)肌にあります。製作過程での窯の火入れや、釉薬の調合で微妙な「肌」の表情が決まってしまうため、それぞれの工程で卓越した技術が必要とされます。
小松原焼は、力強く、重厚なため、花器・つぼ類から日常生活用品に至るまで、さまざまな用途に利用されています。最近では、新しい感覚の色彩を取り入れた作品も作られています。
日向焼は、原料となる三股町・山之口町の土に独特の調合を加え、また釉薬も独特のものを考案しています。
粘土配合の工程からロクロを回しながらの形づくり、乾燥・素焼・うわぐすりかけ・表面のやすりがけ・本焼・窯出しの工程までのどれをとっても、土を知り尽くした職人の心と技が生かされています。
製作においては縄を「綯う」技術が中心で、左右に向かって細くなる形状をしているこの地方のしめ縄は高い技術を要します。自らが育て収穫した藁を材料としており、農業と工芸が密接にかかわっている点にも特徴があります。
しめ縄については、高千穂郷で古くから伝わる「七五三縄」をはじめ「鶴の舞」「鶴亀しめ縄」を中心に製作し、地域文化の継承に貢献しています。
わら細工については「祝結び」「祝亀」など約20種類の室内に飾る縁起物の他、鍋敷きなど藁の特徴を生かした生活用具を製作し、現代の暮らしにも寄り添う工芸品として国内外から関心を集めています。
商工観光労働部観光経済交流局 国際・経済交流課
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